昭和48年3月31日 丸少入会式    入力者松本正宏



 良き会員になりますという事は私は、よりよい神様の良い氏子にならせて頂きますという事だと思うのです。何事にも必ず一つの基本というものが要ります。人間が真実幸せにならせて頂く事の為に天地の親神様のおかげを教祖生神金光大神のお取次によっていよいよ幸せにならなければならない。お取次を頂いて幸せになる、それには、私共が一人一人教祖様の教えて下さる事を本気で身を持って守らせて頂く。そこから有り難い人間にならせて頂くのです。
 今日は、期せずしてです、今朝の御理解に今日は一切の事にもうどういう事にでもお礼を言わせて頂こうという事を今日、朝の御祈念の後に、朝の御祈念に参りあわせたご信者さんと話し合った事です。とにかく有り難いという事を皆さんのこれからの合い言葉としていかれる。ただ、口でだけ、ありがたいというだけではなくて、心からありがたい。もう、全ての点に感謝の心を持って有り難うと言うていく。始めの間には中々ぎこちない。 今日も私も実は、今まで大抵有り難い自分であると思うておったけれども、有り難いというお礼の足りないのにも改めて驚いておる。目が覚めたらまず、目が覚めた事に有り難いとお礼を言う。枕にもお礼を言う。布団にも敷布団にも電気にも洗面をさせてもらうのにお水にも、もう一切の事柄にお礼を言う。そういう心がけておりながらふっと有り難うございますとこう言うておると言うておる、目をつぶって有り難うございます言うておる間にです、はああれもまだ忘れておった、これもまだ忘れておったというほどにあります。不思議な事にありがたいと言うことが段々身について参りますと、例えば皆さんでいうなら勉強がいよいよ楽しくなると思います。又は信心、お参りをすると言うことも、大変有り難いことになってくる。それを私は今日体験しました。
 いつも、午後は二時から奉仕させてもらうんですけれども、とにかくあの一切の事に、一切の物に有り難い有り難いと言うお礼を申させて頂いておったら、もう口にだけ言うておったのでは相済まんという気が致して参りました。口でだけの有り難いがすまなくなってそして今日は十二時ちょっと過ぎから、御結界にでて、丁度五時ちょっと前まで奉仕をさせて頂いた。とにかく有り難いというのはそういう功徳、そういう効果があるのです。有り難い、どうぞ皆さんが信心のこれは、一番初歩から一番最後までこの有り難いというもの有り難いという事は、ついてまわらなければなりません。勿論その有り難いが段々本当なものに浅いものから深いものに、小さいものから大きい有り難いという感謝の心がもう限りなく頂けてくる稽古です。
 信心はもういよいよありがたくならせて頂く稽古。良い会員にならせて頂くと言うことは良い神様の良い氏子にいよいよならせて頂くと言うことですから、いわゆるその本気でそのありがたくなる稽古を怠ってはならないと思いますね。
                                     どうぞ。